#佳蓮

「蓮葉の濁りにしまぬ心もて」 蓮は泥に生えて美しい花を咲かせます。タイトル“佳蓮”とは、ご近所で評判の“アリエル女子塾”の先生の愛娘さんのお名前です。ある朝、彼女は私の後ろで転びました。ちいさな彼女にとって、とても痛い辛い出来事でした。彼女は、涙ひとつ見せず自分のチカラで起き上がりました。お母様のご許可を得て、「京都女子大学宗教・文化研究所懸賞論文」に入賞された彼女の作文を紹介します。

「おじさんが教えてくれた親切」
         小学校3年 佳蓮
3年生になった5月のある朝、いつものように学校へ行くために家を出発しました。急いで走ったわたしは、マンションの石だたみにつまずいて、こけてしまいました。
その時、何が起きたのか分からなくて、起き上がることができませんでした。そこに、同じマンションに住んでいるおじさんが、声をかけてくださいました。「目見える?目、さわったらあかん!ひとりで起きれる?おうちは何号室か言える?お母さんおうちにいる?」おじさんは、私が立ち上がるまで待ってくださり、私の家まで連れて上がってくださいました。お母さんに、「ひとりで起き上がって、なかなかったんですよ。えらかったんですよ。」と、おじさんは、わたしをほめてくださいました。その日は、学校を休んで病院に行きました。おじさんに助けていただいてから、わたしは親切にすることについて、よく考えるようになりました。まず、親切がどういう意味か調べてみると「思いやりがあって、人のためにつくすこと」と辞書にありました。そのことをお母さんに話すと、お母さんが「相手のことをよく考えないと、おせっかいになるのよ。」と教えてくれました。
そこで、おせっかいの意味も調べてみると「よけいなお世話をすること」とありました。親切なことをしようとするとき、「こうしたらよろこんでくれるかな」「ここまでしてしまうとやりすぎだな」と相手がどんなことをしてほしいかを思いやることが大切だと気づきました。そして、親切なことをされる相手の気持ちがちょうど同じだったとき、はじめて感謝してもらえることも分かりました。また、そのはんだんをまちがえてしまったとき、めいわくに変わってしまうこともあると分かりました。それはとてもざんねんで、かなしいことです。あのとき、おじさんは、わたしが立ち上がるのをそばで見守ってくださいました。おじさんは、「知らないおじさんにさわられたらこわくていやでしょ。お部屋番号をたずねていいかまよったけれど、教えてくれて助かったよ。」と、あとで教えてくださいました。おじさんは、こけているわたしを見て、いろいろなことを考えて、思いやってくださったことがよく分かりました。そのお気持ちを知り、また嬉しくなりました。まちがえた親切をしてしまわないためには、相手を思い、ちょうどいいはんだんをしなければなりません。親切だと思いこんで、おせっかいではないかなとよく考えて、えがおで「ありがとう」と言ってもらえる親切をしたいです。

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